私の愛する一点展 23回
高須賀優「若いサーカス団員」
画 材:アクリルガッシュ/鉄板(トタン)
サイズ:52.5×38.5センチ
制作年:2025年
高須賀優の一連のサーカスに題材を取った過去作を拝見し、そこに塗布された飛び散るが如き絵の具の鮮やかさと画家の荒ぶる精神の有りように眼を見張ったことがある。この最近作「若いサーカス団員」を観ると、打って変わり演技を終えた道化師がホッとひと休息し、物思いに浸る様が絶妙に描かれている。沈静した表情に哀感が漂うようだ。人生って、波瀾万丈、喜びも哀しみもこの道化師そのものではないかと共感を覚えた。ルオーやピカソ、三岸好太郎等、洋の東西を問わず、サーカスや道化師を描いた名作は数々あれど、この一点もそれに値しょう。
御子柴大三
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| 若いサーカス団員 |
人生をサーカスに準える画家・高須賀優
御子柴大三
かって高須賀優(一九四五~)のブリキ小作品をある画廊から購入したことがある。それ故か昨年中半、御本人から「曲芸お伽草子」(ニ0十一年、鶴書院刊、この出版社は発刊当時、内神田にあった)なる冊子が送られてきた。巻頭には彼が尊敬するヘンリー・ミラーの言葉を文字って「好きなように描いて好きに死ね」の言葉が掲げられていたが頁を括るや否や驚嘆してしまった。鮮やかな色彩が飛び散るかのように画面狭しと躍動しているではないか!偶々画家本人とお会いする機会を得たのでこのことをお聞きしたら、この冊子に描かれている作品はかって一九七四に関根大サーカスを観るにおよび、また一九九七年にスイスの道化師・ディミトリーの演技に出会い深く魅了された経緯もあって、絵として表現するものが悉くサーカスとその周辺に集中するようになったという。作家にとり、表現したい対象があることは幸せなことである。
彼の筆法は慎重に構想を練って描くタイプではなく即興芸、いうならばジャズの演奏に近いと言える。滾る心が筆に宿り瞬時の必然を求め画面をはみ出さんばかりの熱気に包まれている。描かれた曲芸師の肢体はエロスの中にタナトスが内在し乱舞する如きだが、抑えきれぬ荒ぶる精神そのものも垣間見えて共感したのである。
彼の筆法は慎重に構想を練って描くタイプではなく即興芸、いうならばジャズの演奏に近いと言える。滾る心が筆に宿り瞬時の必然を求め画面をはみ出さんばかりの熱気に包まれている。描かれた曲芸師の肢体はエロスの中にタナトスが内在し乱舞する如きだが、抑えきれぬ荒ぶる精神そのものも垣間見えて共感したのである。
もっとも彼は画家ではあるが自称イラストレーターでもあってその分野での業績は一九八九年、吉祥寺パルコで開催された彼の個展〈キチジョージ展〉で展示されたイラスト画が月刊誌「ユリイカ」(青土社、神田神保町)の編集者の眼に止まり、同年、「総特集 村上春樹の世界」の表紙絵(装幀画)となったことだろうか。
因みにに発刊時の「ユリイカ」誌を拝見すると村上春樹さんも三六年前だから春樹青年なのは微笑ましいが、彼のイラスト画も吉祥寺という活気ある瀟洒な街角を描いて出色の出来映えと見えた。
これ以後、澤野久雄さんの小説「高原の聖母」の挿絵を担当したことで一九九0年、文化学院画廊(神田駿河台)での個展開催となった。
彼と、かっての「ユリイカ」誌のことを話題としていた時期に、別タイミングでフェイスブックに彼の新作が映し出され一目で驚嘆した。誰か名のある画家の作品ではないかと訝ったが間違いなく彼の作品である。この最近作「若いサーカス団員」を観ると「曲芸お伽草子」時代の作品と打って変わり演技を終えた道化師が一休息し、物思いに浸るさまが染み染みと描かれている。沈静した表情に哀感が漂うようだ。人生って、波乱万丈、喜びも哀しみも、この道化師そのものじゃないか、と共感を覚えたのである。
ルオーやピカソ、三岸好太郎等、洋の東西を問わずサーカスや道化を描いた名作は数々あれど、この一点はそれらに勝るとも劣らないだろう。










































